発達障害とカサンドラ症候群

兄の話と療育の話


昨年、兄が亡くなりました。

 
以前、兄について書いていたのですが、数年の間に、兄は発達障害だと言い切れるくらいの出来事が多々あり、
 
母が脳梗塞の再発で入院して、そのまま施設に入ったとき、
 
兄は一人で生きていけるんだろうか?(たぶん、無理)
 
そう思っていました。
 
母が施設に入ってからは、たまに叔母から兄の生存確認の連絡がきたり、母の施設から兄と連絡が取れないと電話がかかってきたりしていました。
 
ケータイ代が払えていないだけでしょう。
 
これしか言えませんでした。
 
本当に兄に何かあったときには、病院か警察から連絡が来る。
 
と思っていました。
 
周りから冷たいと言われても、二人きりの兄妹なのにと言われても、私が兄の人生と生活を背負うことは出来ません。
 
私は私の生活を守るために、全力で兄と距離を置いていました。
 
だから、警察から「○○さんがご自宅で・・・」と連絡があったときには驚きませんでした。
 
孤独死でした。
 
やっぱりこうなったのかと思いました。
 
異変を感じて家に入った警察の方から聞いた話によると、実家はゴミ屋敷になっていたそうです。
 
片付けが出来ないのはADHDの特性です。
 
親戚からは、兄がお金を借りに来ていたと聞きました。
 
知り合いからの借金は母がしていたことです。
 
母はお金に困ると、私に連絡をしてきていました。
 
友人にも借りに行っていました。
 
その母の姿を兄が見ていて、お金に困ったらそうすればいいと兄は学習してしまったのですね。
 
歪んだ認知です。
 
最後は色々な理由で車を所有していなかったので、亡くなる数日前に、近所に食べ物をもらいに行ったそうです。
 
田舎の「車がなければ生活が出来ない」という考えが更に認知を歪ませたのかも知れませんが、「私なら」自転車で仕事に通うか、どうにもならなければ役所に駆け込んでいたと思います。
 
実家から歩いて30分、自転車で15分のところに役所があります。
 
ですが、兄にはその知恵がありませんでした。
 
親のせいにするわけではありませんが、寿命がそれで延びるわけでもありませんが、
 
親が兄の特性を理解して、きちんと教えていれば、兄の選択や生き方も変わっていただろうと思っています。
 
発達障害の人が皆、孤独死や餓死するわけでもなく、兄のことは稀な出来事だということも分かっています。
 
ただ、発達障害の人やグレーゾーンの人が、生きやすくなるのか生きにくくなるのかは、何を学ぶか、何をどう認知して成長するのかで変わります。
 
だから早い段階での療育が大事なのだということを兄の出来事を通して強く強く感じました。
 
今回は兄が亡くなったという報告ではなく、親の理解と療育が大事ということをお伝えしたくて書かせていただきました。

もしも不快に思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません。