霊視・スピリチュアルの世界

刷り込みってすごいんです

 
信仰心の厚い親の元で育つと、それが当たり前になって、神様仏様を大切にする子供に育つことがあります。

すごく悩んでいるときに信仰心の厚い人が近くにいると、そちらのほうに考え方や生き方が向いてしまうこともあります。

私は両方経験した人です。

祈祷霊媒師の家系に育ちましたし、母が新興宗教に傾倒して、私も小学生の頃にその宗教に入っていましたので、それが当たり前だったんですね。

自分の数珠も持っていましたし、夏休みに朝のおつとめ(?)に行ったこともあります。

家には専用の神棚がありました。

神様仏様は大事。

これは親に刷り込まれた観念でした。

新興宗教の次は拝み屋のおばあさんの登場です。

何か問題が起きるたびに拝み屋のおばあさんのところに連れて行かれるようになりました。

こうして、神様仏様に「手を合わせなければいけないんだ」と思うようになったわけですね。

大人になると、観念は更に強くなります。

お墓を大事にしなくてはいけない。

神様仏様を粗末に扱うと罰が当たる。

これは神社にお参りしたり、お墓参りに行ったりというレベルの話ではありません。

自分の心が生み出した恐怖心に支配されているんです。

神様仏様がお前に罰を当ててやると言ったわけではない。

それを信じている人が罰が当たると言っただけなのに。

それでも、恐怖とは別のところでちゃんと感じて分析していた自分もいました。

一生懸命手を合わせている人は、いつも問題が起きていて幸せそうに見えない。

もっともらしいことを言いながら、人を妬んだり悪口を言ったりしている人が多いな。

神様仏様?何それ?と思っている人のほうが自由に生きているし、楽しそうだし幸せそう。

長い間、恐怖心をなくすことが出来なかったのですが、どうしてもそこから抜け出したかったので、私はあることを決行しました。

お札もお守りもゴミ袋に入れて、ゴミの日に他のゴミと一緒に出したんです。

何も罰は当たりませんでした。

心がとっても軽くなりました。

あなたも、

自分は刷り込み(観念)を元に判断していないか。

自分の子供に何かを刷り込もうとしていないか。

よく見てみてください。

刷り込みから生まれた観念とその観念から生まれる感情ってすごいんです。

自分で気づかないと、ずっとその観念と感情に支配されることになります。